私塾主宰40年 ・ 田中保成の雑記録

主に受験・教育・社会について、長年の経験を踏まえて、語ります。

算数はよくできたのに中学数学ができなくなる理由

 算数は個、人、匹、m、㎡、㎥、度といった単位のついた事例で加減乗除をはじめとする理屈を教えます。そして、その思考過程は + 、-、×、÷、= などの記号を使って表します。

 記号で表す概念に「合わせる」「つぎたす」「ふえる」「順番がふえる」といったいくつかの異なった概念を同じ記号で表すところでつまずく子もいます。

 ここを上手く超えた子も中学数学になったとたんにできなくなる子がいます。これはいきなり正負の数で概念が広がり、更に単位がなくなって抽象的に考える場面が多くなるからだと思われます。それを越えても定数をa、b で表したり、変数を x、y で表しそれを等号で結んで関数式をつくる場面に遭遇して、ついにイメージできなくなる子もいるようです。

 これは算数が静止画を2枚ならべてその変化の理屈に気づくのに対して関数では動画の連続した変化からそれを貫く理屈に気づくかどうかということだと思われます。

 ただ、和差算を1次方程式で解き、つるかめ算連立方程式で解くといった場合や比例の関係を一次方程式で表し、面積を2次方程式で表すといったように算数と数学は内容的にはさほど変わらないので、アナログとデジタルの視点の違いをじっくり教えればほとんどの子は数学ができるようになると思います。

 この点に関してはかつて「あなたにも解ける東大数学」(ディスカヴァー・トゥエンティワン) で詳しく述べました。

 しかし、中学数学と高校数学では同じ数学でも内容が根本的に違います。このことについては次回お話することにしましょう。

 

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考えるは継続、理解するは一瞬

「考える」基本は、違いを見つけてその違いがなぜ生じたのかを推理する思考作業です。それは「あ、そうか」という理解の異次元へのステップにつなげるものです。

 考えることが知識を想い出して当てはめるだけと勘違いしている人は「推理する」という思考作業ができない人です。また、同じ思考を何度も思い出して堂々めぐりしている人は「考えている人」ではなく「迷っている人」です。

 同様なことは「理解する」においても生じます。「あ、そうか」と納得するのは自分自身であり、その結果が必ずしも客観的に正しいということはできません。ですから、わかったつもりの人が多くいるのです。

 そこで、自分が本当に理解しているかどうか、またその理解度はどの程度なのかを常にチェックする必要があるのです。講義を受けただけ、問題を解いただけでは理解が定着しないだけでなく「わかったつもり」になる危険性が高いのです。

 その危険性を回避するには小学校のときから将来を見据えた指導をしなければならないのです。目先の点数をとるだけの方法を教えたのではどんなに素晴らしい素質を持っていても伸びません。その点に関しては拙著「お母さんとまなぶ東大への算数」( ポプラ社 )で述べています。

 この手順で算数が得意であった子が中学数学になって突然できなくなるのはどうしてかについては次回お話しましょう。

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英単語が覚えられません・・・。 大丈夫!

まず学習において「暗記する」とはどういうことなのか、「考える」とはどういうことなのかということを教わっていない人が多くいるようです。その理屈がわかり自分に合った暗記法さえ見つければ短期的暗記力に関しては個人差はほとんどありません。

 以前英語の偏差値70代と40代の生徒にそれぞれに合った暗記法を指導した後,ドイツ語の単語を暗記してもらったことがあります。その結果はほとんど大差はありませんでした。

 そもそも暗記とは2つの事柄に関係性を持たせて記憶に留めることです。例えば,りんごの映像とapple の綴りをリンクさせる,apple の綴りとその読みである音をリンクさせるというような場合です。それを連鎖的に記憶しておいて連鎖的に思い出せる人が暗記力が良いと言われているようです。つまり,1つの事柄で多くの事柄を関係づけて想起する能力が高い人が暗記力が良いということになります。

 では、どうすればその暗記力を身につけることができるかということになりますが、その前に暗記する方法について考えてみましょう。じっと眺めて映像で覚える人,ぶつぶつ唱えて音声で覚える人,ひたすら書いて身体的動作で覚える人,人に教えている場面を想定して演技として覚える人、曲をつけて覚える人など数え上げたらきりがありません。そして,いろいろ試して自分に合った暗記法を採用すればよいですし、いくつかを合わせた暗記法を作りだしてもかまいません。というのは、どんな暗記法を採用したとしても暗記力の良し悪しには関係ないからです。

 結果としての暗記力に一番関係する要素は、暗記するためにかかる時間を知っているか、覚え切るための脳のスタミナを養成しているかという2点です。

 例えば,英単語1000個を90%定着するために何時間必要かを考えてみましょう。私の40年の経験では日常生活で見聞きする中学英単語であれば200時間もあれば暗記できますが、日常生活と無縁の高校英単語であれば500時間ぐらいは必要でしょう。その根拠は10単語を1時間で覚えることを100回で100時間、次に20単語を1.5時間で覚えることを50回で75時間、3回目40単語を4時間で覚えること25回で100時間、4回目50単語を3時間で覚えること20回で60時間、5回目100単語を5時間で覚えること10回で50時間、6回目200単語を8時間で5回で40時間、7回目250単語を5時間で4回で20時間、8回目500単語を5時間を2回で10時間、そして、9回目1000単語で5時間 となるので合計460時間になるからです。

 本来1時間かかるところを10分で暗記できると勘違いして取り組むと20分が経過した時点で気力は萎えて30分経過した時点では「自分は暗記が苦手」と結論付けてその不愉快さから逃れようとするでしょう。どんな科目でも大学受験レベルの用語はそう簡単に暗記し使いこなせるものではありません。とにかく、暗記にかかる所要時間を正確に把握している指導者を見つけることです。

 次に重要な要素は脳のスタミナです。よくヤル気と勘違いしている人が多くいます。私の40年の経験では、いくらヤル気があっても脳のスタミナが切れると「やりたくない」という感情が湧き起るはずです。それは脳の自己防衛ともいうべきもので健全な精神的現象だと思います。ですから、暗記を始めて20分で疲れたと感じた人は第一段階では1ラウンド15分で暗記できる量で計画を立てればよいのです。それを継続しているうちにだんだん15分では物足りなくなります。そのとき、1ラウンド20分とか30分とかに計画を変更するのです。

 つまり、覚え切るための所要時間を知り、自分の脳のスタミナを客観的に把握していれば「暗記は得意です」と言い切れるのです。

 次に「考える」とはどういうことなのかについては次回お話ししましょう。

数学がわからなくなりました・・・・。 大丈夫!

 前回は「暗記する」とはどういうことか、何が大切かについてお話ししましたが、今回は「考える」ということについて少しお話ししましょう。

 そもそも「考える」ということがどんな知的作業なのかを教わっていない人がいるようです。そのような人は「考えなさい」と言われても戸惑うだけです。また、直面した問題を解決しようと「考えよう」としても堂々巡りの迷いの世界に導かれる結果となります。

 「考える」第一段階は、比べて違いを見つけることです。そして次の段階は、その違いがなぜ生じたのかを推測することです。その推測する根拠は経験によって蓄積した道理であったり、学ぶことによって身につけた理屈であったりするわけです。ですから、経験もせず学びもしていない事柄については「考える」ことはできないはずです。

 ということは、「考える」前提として道理や理屈がわかっていなければならないということになります。例えば数学や物理でいえば、公式として表現されている理屈の思考過程を理解しておかなければ「考える」段階ではないということになります。

 ですから「数学がわからなくなりたした」ということは、考える道具である公式を理解もせず使おうとしている現象だということができるのです。このような人はもう一度教科書で公式が導かれるまでの思考過程を省略することなく納得するところからやりなおすことが必要でしょう。

 更に難易度の高い入試問題を「考える」ためには公式で表現される理屈を理解しているだけでなく、複雑な思考過程をたどらなければならない問題を理解し知識として定着させておかなければ対応できません。この部分だけに焦点を当てて「数学は暗記だ」という表現をする人がいますが、それは事の本質ではなく誤解を招く表現といえるでしょう。どんな複雑な問題でも式の変化を見つけその変化が等しくなる理屈を納得していく、つまり「考える」思考作業が必要なのです。その過程を最初から暗記する人はその問題と類似問題までは対応できますが、複合問題は対応できないはずです。

 ですから、私は小学生に対しても質問は「教えてください」ではなく「相談があります」と言うように指導しています。なぜなら「教えてください」と言った瞬間に考えることを止め、その説明を知識とし暗記することになるからです。これでは思考力はアップしません。それに対し「相談があります」と言う場合は自らが主体であり自分で考えることも継続します。この状態であれば、ヒントを与えることもできますし、答えだけを教えて、「この答えになるにはどのように考えればよいかな」と思考過程をさかのぼらせる逆思考鍛錬法を採用することもできます。

 すでに「考える」前に「理解する」段階があるということにお気づきだと思います。次回はこの「理解する」ということについてお話しましょう。

はじめまして、田中保成 です。

 40年間、私塾を主宰していろいろな生活環境の子どもたちと出会ってきました。そして、小学生から大学・社会人まで年齢もさまざま、特別支援学級の生徒から東大受験生まで学力もさまざまの人たちとともに学んできました。

 その経験を少しずつ雑記という形で表していこうと思っております。

 また、この学びの経験の過程で気づいたこと、発見した視点をもとに、時事問題についても雑感を述べていきたいと思っております。

 以後、よろしくお願いいたします。